Notalune

音名はどうすれば覚えられるのか

覚え歌に頼らなくても、音名は定着します。定着させているのは、同じ音に何度も出会うことのほうです。英語で同じ話題を読むと、たいてい Every Good Boy Does Fine のような文が出てきます。日本語には、それにあたる文がありません。その分だけ不利なのではないか。私も一時期そう思っていました。ただ、英語圏の読み手を速くしているのは、あの文を唱えた回数ではありません。あの文が並べているのは C・D・E という頭文字で、カタカナのドレミには移しようがありません。なくて困るものでもありません。代わりに私たちが持っているのは、音符カードと「ドから数える」という習慣です。見ておく値打ちがあるのはそちらです。

日本には覚え歌がないのか

教室が変わっても通じる決まり文句は、私の知るかぎりありません。子どもが最初に渡されるのは音符カードです。大人になってから戻ってきた人は、たいてい自分で表を作ります。私も音名を並べた紙を印刷して、譜面台に立てかけていました。

そのかわり、ほとんどの人が同じことをしています。ドから一段ずつ数えるのです。指は鍵盤の上で止まったまま、頭のなかでド、レ、ミ、ファ、ソと上がって、着いたところの名前で押します。一音につき一秒か二秒。その一秒は、演奏の外にあります。手はもう次へ行けるのに、目のほうが止まっています。恥ずかしいやり方ではありません。私も長いあいだ数えていました。

「ドから数える」はいつやめるのか

日付を決めてやめるものではありません。よく出てくる音では早く消えて、年に何度かしか出てこない音では何年も残ります。五線の真ん中と加線の上とで、同じ人の中でも進み方がまるで違います。なぜそこまで差がつくのかは、覚えた音をまた忘れるのはなぜかで書きました。

その消えかたが目の前で起きるページがあります。ベートーヴェンの「エリーゼのために」の一ページ目です。イ短調で、調号には何も付いていません。8分の3拍子、速度標語は Poco moto です。右手はミとレ♯を行き来して、そのあとシ、レ、ドと下りてラに着きます。レ♯の♯は、そのつど臨時記号として書かれています。

冒頭を宙に浮かせているのは、そのレ♯です。ミにもたれかかったまま、どこにも落ち着きません。フレーズは何度も同じところへ戻ってきて、ラの和音に落ちたところで、ようやく力が抜けます。弾いたことのある人なら、あのためらいを名前より先に知っているはずです。

一ページ目のあいだに、その二つの音は何度も何度も回ってきます。三行目に入るころには、ドから数えてレ♯を探している人はいません。やめようと決めた人もいません。何度も出会っているうちに、数えるより先に名前が出てくるようになっただけです。

名前はどうやって「見える」ようになるのか

友だちの名前を、顔のかたちから計算して出している人はいません。何度も会ったから、顔と名前が一緒に出てきます。一度だけ紹介された人は、顔は浮かぶのに名前が出てきません。会った回数が足りていないだけです。

五線の上の名前も、同じ来かたをして、同じ去りかたをします。まだ思い出す手間がかかる音は、それだけ出会いの回数が足りていない音です。思い出すほうには、探しに行って戻ってくるあいだの時間があります。見えるほうには、探しに行った覚えがありません。

ただ、どこで回数を稼いでも同じではありません。台所のテーブルに楽譜を置いて、名前だけを確かめていた時期があります。言えるようにはなりました。それでも鍵盤の前に座ると、同じ音がまた出てきません。残ったのは、楽器の前で、鳴る音を聞きながら覚えた名前のほうでした。声に出してから鍵盤を押すやり方はひとりで練習するときの確かめ方に、どの音から増やしていくかは楽譜の読み方をどう身につけるかに書きました。

三小節ほど進んだところで、いまの音を数えなかったことに気づきます。気づくのは、弾いたあとです。手が先に行っていて、頭があとから追いついてきます。


書いたのはiOSアプリNotaluneの作者です。忘れた音符ひとつで練習が止まらないように作りました。手持ちの楽譜を撮影すると、音符の上に音名が出ます。名前がわかるのが楽器の前なので、同じ音との出会いが、いま弾いている曲の中で一回ずつ増えていきます。 自信が持てないときは、推測せず空白のままにします。ひとりで読みたくなったら、ワンタップですべての音名を隠せます。ほかのガイドは学ぶにあります · ご質問はsupport@notalune.comまで。